ドラマ考察

ドラマ【天国と地獄 ~サイコな2人~】最終回考察 未回収、偶然で片づけられてしまったことについて触れてみました

日曜、21時からTBS系列で放送されているドラマ、天国と地獄 ~サイコな2人~の、最終回で気になった点について考察してみたいと思います。

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YouTubeにも動画投稿していますので、チャンネル登録していただき、みなさんと一緒に考察できたら、とてもうれしいです。

朔也が実行犯、日高が清掃係

最終的な結論としては、犯行を行ったのは朔也、そのあと、清掃をしていたのが日高ということでした。

残り1話の段階で、可能性があるとしたら、2人の立場の逆転でしたが、そのままという結果になりました。方向性としては全然ありな結末でしたが、考察的には、はずし続けました。制作側のあおりに、まんまとハマる形になりましたが、ドラマが始まる前の期待値から考えると、とても楽しませてくれたドラマでした。始まる前は、コメディータッチな内容かと思いましたが、考察ドラマとして成立していましたし、2人の入れ替わりの演技は見どころがありました。
そんな中、いくつか気になった点がありましたので、触れていきたいと思います。

未回収要素で気になった点

こういったドラマは、終了した後に、あのことが回収されていないなど、いろいろと賛否両論されがちです。
多かったのが、アメリカでの事件についてと、おじいさんの話についてです。個人的には、これらについての回収は、必要ないと思います。それは、そういうことがあったという状況にすぎないからです。
アメリカの件は、疑われただけで、逮捕されているわけではありませんし、おじいさんの件も、昔そういうことがあったというだけで、済んでしまう話です。どちらも、本筋と関係ある要素がない以上、回収の必要性はないということです。個人的には、そういった捉え方だったので、これまでの考察でも、取り上げることはありませんでした。
ただ、日高本人の行動や言動に関しては、本筋と関係ある以上、回収の必要性があります。そういった観点で、3つの点について触れてみたいと思います。

1つ目は、第4話の、スパでのシーンです。
望月が、日高の胸ぐらをつかみ、これが世のあるべき姿だと怒りをぶつけた時、日高は、「だからあなただったんですか」と言いました。

この、第三者的な発言については、回収されませんでした。
最終回で、入れ替わりの相手を選んだのは、母親だという話がありました。このことから、日高と朔也のねじれた関係を、綾子の正義感が正してくれることを願って、母親が選んだと解釈できます。つまり、この時点で、日高は、母の思いを悟り、綾子の正義感に対して、敬意と期待をいだいているということです。
そうなると、問題になってくるのが、2つ目の点です。それは、四方宅での犯行動画です。あの、何度も頭をバンバン叩く姿は、そういった日高の思いとは、程遠いい行為に思えます。
この時、日高は、「正義というのはいちいちめんどくさい」、「私はそんな難しいことは考えない」と、綾子に対して言っています。

スパでの会話とは、かなりブレがあります。
こういった、日高の行動や言動のブレが、別の人物との入れ替わりや、日高実行犯といったミスリードを生んだ要因にもなっていました。
同じようなブレが、朔也に対しての思いでも存在していました。それが、3つ目の点です。
第7話で、朔也が死んでいると思い、探し回っている時に、日高は、こわばった表情で、「まだいきているのかよ」と発しています。

この表情や言葉からは、朔也が生きていることを望んでいないような感じを受けました。朔也の罪をすべてかぶろうとしている日高の態度としては、かなり違和感を感じるものでした。
こういった、日高自身の言動や行動は、本筋に大きく関わってくる要素であり、そこでミスリードを誘うのであれば、最後にしっかりと回収をしてほしかったところです。
たとえば、あの動画について、日高が綾子に謝るシーンをいれるだけでも、あの時は綾子の抑止のために、仕方なくやったという心理がくみとれるでしょう。

朔也に対しての言動については、日高が朔也本人に対して、涙ながらに同じセリフをいうことで、本心は、生きていてよかったという意味だということがくみとれます。

まあ、細かい点ですが、個人的にはそう感じました。

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偶然でかたづけられた要素

このドラマでは、偶然でかたづけられてしまったことが多く存在したように思います。朔也の手の火傷がそうです。あの流れ的に、ほくろを隠すために火傷したように思いましたが、結局、偶然でした。

綾子が、9の数字が書かれる前から、久米家を張っていたのも、たまたまだったようです。

他にも、細かい点で、いくつか存在しますが、偶然で済むような要素であれば、特に回収する必要はないと思います。ただ、ひとつだけ、偶然で片づけてほしくなかった要素が存在します。それは、犯行をおこなう日が、新月だったという点です。
これについては、結局、何も触れられませんでしたので、偶然だったということなのでしょう。ただ、月と太陽をモチーフにしていたり、登場人物の名前にも、それを意識した文字が使われていたりと、ドラマの中で月の重要性を強調していました。

ドラマのシーンの中でも、随所に月がクローズアップされていました。

途中、九十九がそのことに気づき、そのことから、久米家の張り込みをし、一旦は、朔也の犯行を阻止するという展開もありました。あの時、犯行を中止せずに、息子に切り替えたのには、新月の時にやらないといけない意味があると思いました。
そういった重要な要素を、単なる偶然で片づけられてしまったのは、とても残念に感じました。

偶然と言えば、この人が、十和田に似ていたのも、結局、偶然でした。

以上、「ドラマ【天国と地獄 ~サイコな2人~】最終回考察 未回収、偶然で片づけられてしまったことについて触れてみました」について考察してみました。
これまで、ドラマ、天国と地獄、サイコな2人の考察をご覧いただき、ありがとうございました。なかなか、ロジカルな考察が通用せず、はずしまくりましたが、いろいろと考えることが出来て、とても楽しめるドラマでした。4月からも、考察できるドラマがありましたら、あげていきますので、引き続きよろしくお願いします。

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